「ねえ真昼、ちょっと」
「え、なに?」
首筋に顔を寄せると、真昼の肩がわずかに跳ねた。すん、と鼻を鳴らしたら、「ちょっとやだ、へんたい!」と嫌がられた。けれどこういう声でこういう言い方をするとき、真昼が本気で嫌がっているわけではないことを、わたしは既に知ってしまっている。
ほんのり汗ばんだ肌からするのは、確かに真昼のにおい。けれどそのなかに、わたしが良く知っている香りを、かすかに感じる。
「再会したときにも思ったのだけれど、真昼、わたしの香水つけている?」
言うと、真昼はバツが悪そうに目を泳がせた。幼いころの、いたずらがバレたときの癖。真昼自身は気づいていないようだけれど、いまでもちっとも変っていない。この半年で真昼は随分と大人っぽくなったと思うけれど、こういうところは昔のままで、密かに嬉しくなってしまった。こんなふうに、真昼の可愛い部分を見つけると、ついつい、意地悪なことを言いたくなってしまう。もっとも、真昼はどこもかしこも可愛いのだけれど。
「おねえちゃんの香水を勝手に使うなんて、もう、真昼ったら」
「ちがっ、勝手に使うわけないでしょ? ちゃんと自分の……あ」
「自分の?」
墓穴を掘ってしまったことに気づいたようで、真昼は両手で口を押さえた状態で硬直した。それからみるみる真昼の顔が上気してゆき、顔を赤くしていてもやっぱり真昼は美人ね~などと思っていたら、顔に枕が飛んできた。
「これは、おねえちゃんのせいなんだからね!」
わたしが枕を顔の前からどけたのとほぼ同時に、真昼はベッドの中に頭まですっぽりと潜ってしまった。
「真昼~、どうしておねえちゃんのせいなの~」
「だって……自分で買うしかないじゃない」
くぐもった声が羽根布団のかたまりから聞こえてきて、わたしはそのかたまりに、ぴったりと耳をつける。
「小春にはおそろいの香水あげたのに、わたしには……くれないし」
――――わたしは。
破いてしまう勢いで、わたしは布団をはぎ取った。驚きと訝しさが混ざり合ったような表情の真昼に向かって倒れこむように、抱きしめる。真昼は「なにするのよ」「苦しいんだけど」などと喚いていたけれど、それに応える余裕は、いまはない。
真昼が可愛すぎて。
「もう真昼ったら~、おねえちゃんときめいちゃうじゃない~」
「なに言ってるの!? っていうか苦しいってば」
「真昼がやきもちを焼いてくれるなんて」
「そんなの焼いてないし!」
「わたしが小春ちゃんに香水をプレゼントしたのは、小春ちゃんにこの香りが似合うと思ったからよ。真昼には、いつも使っている淡いシトラスの香りの香水が、とっても良く似合っていると思うわ。甘いけれど爽やかで、すがすがしいくらいに真っすぐで、可愛くて。真昼にぴったり。わたし、真昼の香り、とてもすきなの」
「……ふうん」
真昼はまだすこし腑に落ちないといった感じの顔をしていたけれど、頭をなでられているうちに大人しくなり、眠たそうに目をとろんとさせた。
わたしは誰にも聞かれてなどいないというのに、真昼にだけに聞こえるくらいに声をひそめて言う。
「ねえ真昼、知っている? 香水って毎日同じものをつけていると、だんだん自分では香りがわからなくなるの。だから気付かないうちにつけすぎてしまったりすることも、あるのだけれど」
「知ってるけど、それがどうかしたの?」
「ううん、なんでもないわ。ちょっと思い出しただけ」
わたしは真昼に、自分と同じ香水はつけてほしくない。
だって、香りに慣れてしまったら嫌だから。
真昼宛ての手紙に一吹きした香りに、ふんわりと香る再会に、何度だって気づいてほしい。抱きしめたときに、直接感じる体温とわたしの香りに「ああ、おねえちゃんだ」って思ってほしい。S4寮のクロゼットにかすかに残っている香りで、ときどき切なくなってほしい。
この香りは「自分の香り」ではなく「おねえちゃんの香り」であってほしい。これからも、ずっと。
「ねえ真昼。もしも真昼がどうしてもおそろいの香りがいいって言うなら、香りが移るまで、おねえちゃんがずうっと抱きしめていてあげるわよ」
「おねえちゃんってば、すぐそういうこと言うんだから……べつにいいけど」
「え、なあに?」
「べつにいいって言ったの!」
「あら~、もう一回言って、真昼ちゃん~」
「言わないっ!」
<了>