「改めて、一位おめでとう、真昼」
優美なフォルムを描くグラスを首のあたりまでそっと掲げて、グラスの代わりに目と目を合わせる。
わたしと真昼は美組S4決定戦の後、寮のわたしの部屋で、ふたりきりでささやかなお祝いをしていた。
美しく澄んだき琥珀色の液体は、しゅわしゅわと喉に心地よく流れ落ちていった。まだ未成年なのでホワイトグレープジュースなのだけれど、雰囲気で酔ってしまったのか、真昼はすこし顔が赤い。
「ありがとう、おねえちゃん」
「わたし、本当に嬉しいの。真昼が一番になってくれて。次のS4になってくれて。わたしの大切なブランド、ロマンスキスを引き継いでくれて」
「……うん」
わたしは美組のS4決定戦の後、ステージでフランス行きを発表した。真昼があまり元気がないように見えるのは、自惚れでなければきっとそのせいだろう。わたしが日本を離れること、真昼のもとを去ること。なにも今日発表しなくても良かったのではないかと、思わないこともない。真昼のことを思うのなら、なおさらに。けれど、真昼がショックを受けてしまうだろうとわかっていても、わたしはあの場で言うしかなかったのだ。
「ねえ真昼、ロマンスキスというブランドはね、『世界を旅するブランド』なの。国も時代も関係なく、様々な洋服文化からインスピレーションを受けて、セクシーかつゴージャスというオリジナリティをプラスして。いままでにないような魅力的なお洋服を作っているわ」
わたしはグラスをテーブルに置いて、立ち上がる。
「わたしは、ロマンスキスのようなアイドル――いいえ、人間になりたいの。そのために色々な国や地域を見てみたい。いままでに出会ったことがないようなひとたちと出会いたい。わたしがまだ知らない世界に身を置いてみたい。だからね、いま、すごくわくわくしているの」
真昼のすぐ隣に腰をおろすと、微かに真昼の肩が跳ねた。わたしはそれをなだめるように、静かに手を置く。華奢な肩。けれど決して、弱々しさは感じさせない。
「でも、本当はね。真昼と別れるの、すごく寂しい。おねえちゃん、すごく寂しいのよ」
「おねえちゃん……」
真昼が顔をあげて、わたしを見る。うるんだ瞳に、上気した頬。
真昼は可愛い。いままでに出会った誰よりも。
「わたしだって、寂しいよ」
「真昼」
お手入れのゆきとどいた、すべらかな頬に手を添える。わたしを真っすぐに見つめている真昼の瞳を、目線でからめとる。わたしよりもすこしだけ体温が高いことを、吐息が近づいたことで知る。
触れるか触れないか、その瞬間。
「やっぱりだめ――――っ!」
「むぐっ」
押し返すように両手で口を押さえられた。
空手の達人だけあって、真昼は力が強い。とはいえこんなにも力いっぱいに拒まれてしまうと、真昼に不快な思いをさせてしまったのかと、背中に冷汗が流れた。
「ごめんね、ごめんね、真昼。おねえちゃん、嫌がっているのに気づかなくって」
「嫌だったわけじゃなくて……そういうんじゃなくて、だってわたしたち、だって、アイドルだから」
「え?」
「だってアイドルって、恋愛禁止でしょ!?」
ぽかんと、してしまった。
そして、笑ってしまった。
「ちょっとおねえちゃん、笑いごとじゃないんだけど」
「ごめん、ごめんね、真昼ちゃん……ふふ」
いつまでもくすくすと笑いが止まらないわたしに、真昼は真っ赤な顔で口を尖らせる。わたしは目のふちにうっすらと浮かんだ涙を指でぬぐいながら、言う。
「だって、嬉しかったんだもの。真昼が、わたしとこうすることを恋愛だと思ってくれるなんて」
「なっ……」
女の子同士でのスキンシップなんて、よくあること。姉妹ならなおさら。だから「ちょっと悪ふざけの過ぎた姉妹の戯れ」として、片づけてしまうことだってできたのに。「おねえちゃんはスキンシップが過剰なんだから」と、すべてをわたしの所為にしてくれたって構わなかったのに。
「おねえちゃん、いい加減に笑うのやめてよ」
「だって~」
わたしは頬がゆるんでしまうのが治まってから、不貞腐れた表情で髪をくるくるといじっている真昼に向き合った。
「恋愛を禁止にしているアイドル学校も確かにあるけど、四ッ星学園では特に禁止されてはいないわ」
「え、そうなの……?」
「ええ、そういう決まりがあるなんて聞いたことがないもの。心配だったら、学園長に伺ってみる? つばさもそのあたりのこと、知っているかもしれないわね。生徒会長だし」
「ちょっ、やめてよ、恥ずかしい!」
「恥ずかしいことじゃないわ、恋をするのは素敵なことよ?」
「そういうことじゃないんだってば、もうっ」
「おいで、真昼」
両手を広げて微笑むと、真昼は一時の逡巡の後、素直に身を預けてきた。
「姉妹だから」ではなく、「アイドルだから」。ためらう理由がそれだけなら、わたしはもう遠慮はしない。
わたしは目を閉じ、こつんと額を合わせて、ささやく。
「だいすきよ、真昼」
今度は抵抗されなかった。
こうしていることで、言葉にできない想いや感情がすべて伝わってしまえば良いのにと思う。わたしが今日あのタイミングでフランス行きを告げなければいけなかった理由も、わたしがどれほど真昼を大切に想っているのかも。
真昼、可愛い真昼。
どうかあなたはそのままでいて。
四ッ星学園に入って、アイドルとしてもモデルとしても活躍しはじめて、ステージでわたしより高い点数を出して、S4に就任することが決まって。これからあなたはもっと、アイドルとしても人間としても大きく成長していくことでしょう。わたしがフランスへ旅立つように、あなたもいまのあなたから旅立ってゆく。わたしたちは、まだまだ子どもで。そしてまだ、未来の途中にいる。
けれど、どうか。
これからもわたしの前では、ただただ可愛いだけの、あなたでいて。
アイドルでもS4でもない、ただの真昼でいてね。
<了>