太陽が滅多に姿を見せなくなる梅雨は、吸血鬼である「ユリカ様」としては大歓迎。けれど残念ながら「ユリカ」にとってはそうではないのだった。
まず、雨だと髪型がうまく決まらない。「ユリカ様」たるわたしのトレードマークであるきっちり巻いたはずの縦ロールは普段よりも弾力がなく、一直線にぱっつんと切りそろえた前髪も、湿気を含んでごわついてしまう。通気性の悪い棺桶の中は湿気がこもって不愉快。もともと強いとはいえないメンタルは、気圧に影響を受けて低空飛行中。
「それに加えて、今年はかえでがいないのですよね……」
かえでは丁度仕事でアメリカに行っていて、おそらく夏頃まで戻ってこられないと言っていた。去年のこの時季は、かえでが一緒だったので随分と梅雨の不快感が緩和されていたのだと、かえでが日本を発ってはじめて知る。
「そういえば、去年は通気性に優れているからといってスノコで棺桶を作ろうとしたり、髪型が崩れやすいとこぼしたら怪しげなヘアスプレーでわたしの髪をカチコチに固めたり……ふふ、かえでってば、変なことばかりしていましたね」
思い出して、つい笑みがこぼれた。自室にひとりでいるときは、意識的に「ユリカ」に戻ることに、最近はしている。吸血鬼「ユリカ様」としての自分が大切なのはもちろんだけれど、素の「ユリカ」も同じように大事にしたいと、かえでに出会って思うようになった。
「ユーリーカーたーん! おとめなのですー! 起きてたら開けてほしいのですー!」
ノックとともに、ドアの向こうから舌足らずの声がした。
ポップコーンのように弾むその声は、かえでとは違うやり方で、周囲のひとたちを笑顔にしてしまうから、わたしは彼女のことを密かに尊敬していないこともない。
ドアを開けると、おとめは既に制服姿だった。
「ユリカたん、おはようなのです! わあ、メガネのユリカたん、久しぶりに見たのです。とってもらぶゆーなのです!」
「おはよう。おとめ、あなた……どうしてこんな早朝から制服姿なのよ。まだみんな寝静まっている時間じゃない」
「おとめは、雨を見ていたらカエルたんとかたつむりたんに会いたくなったので、お散歩に行っていたのです。でもでも、ユリカたんだって起きていたのですよね?」
「ユリカ様は夜に活動する吸血鬼よ。これから寝るところに決まっているじゃないの」
「そうだったのですか! ではおやすみなさいなのです。また来るのです」
「え!? ちょっと、おまちなさい。あなたの用事を聞くくらいの時間は、ないこともなくってよ」
わたしの言葉を真に受けて帰ろうとするおとめの腕を掴んで引き留めると、おとめは「うれしいのです~」と言って、へにゃりと笑った。
「おとめは、ユリカたんにお届け物をしにきたのです」
「お届け物?」
「そうなのです!」
おとめは小柄な身体に似合わない、大きなリュックを背負っていた。床にぺたりと座り込むと、その中から次々に、色々なものを取り出してゆく。あっという間に、わたしの部屋にものが散乱した。
「トマト味のプロテインに、ビタミン剤に、ちっちゃい除湿器に、おしゃれな長靴……それかららぶゆーなてるてる坊主なのです! てるてる坊主はおとめからなのですー!」
「てるてる坊主は、ってことは……ほかのは違うということ?」
「それは、これを読めばわかるのです。らぶゆーがいっぱい詰まったお手紙なのです」
おとめから手渡されたのは、何も書かれていないシンプルな白い封筒。開けると中には厚みのある一通のカードが入っていて、開くとユニーク音楽が流れ出し、仕掛けがぴょこんと飛び出した。封筒とは打って変わって、おもちゃ箱をひっくり返したみたいな、カラフルなポップアップカード。こんな楽しい手紙を寄越す相手は、ひとりしかいない。カードには、短いメッセージが添えられていた。
◇◆◇
Dear Yurika
ユリカ、梅雨に負けないで!
夏になったら、また一緒にスカイダイビングする約束だよ!
◇◆◇
「もう、かえでったら……」
自然と、頬がゆるんでしまう。
「かえでたんとユリカたんは、本当にらぶゆーなのですねえ」
アンティークドールを飾っている鳥籠に、勝手に自作のてるてる坊主をくくりつけようとしながら、おとめが言った。わたしはカードを封筒にしまいながら、ひとつ咳ばらいをする。
「それはそうと、どうしてかえでは、おとめにこれを託したのかしら? わたしのところに直接贈ってきてくれてもよかったのに」
「それはですね、おとめがかえでたんに頼まれたからなのですよ。かえでたんがアメリカに行っているあいだ、おとめがかえでたんの代わりに、ユリカたんの『らぶゆー』になるのですー!」
「わたしのらぶゆーって何よ?」
「んーと、ユリカたんとおしゃべりしたり、ユリカたんと一緒に寝たり、かえでたんがユリカたんと一緒にしていたようなことをするのです。あとは一緒に虹を見に行ったりするのです。考えただけで、とってもワクワクらぶゆーなのです」
「ちょっと、最後のはおとめがやりたいことでしょう。って、わたしかえでと一緒に寝たりなんてしていないんだけれど!?」
「えっとですね、つまり」
おとめはてるてる坊主から手を離し、両手を後ろで組んで、わたしと向かい合う。おとめの後ろでは、首吊り状態の哀れなてるてる坊主が、間の抜けた顔でにっこりと微笑んでいる。
「かえでたんがいない間、おとめのことを頼ってほしいってことなのです」
おとめはわたしの手をとって、そっと両手でつつみこんだ。おとめの手は、小さな子どものそれのように、ちいさくてやわらかく、そしてあたたかい。
「おとめは、ユリカたんのこと、とってもとってもらぶゆーなのです。かっこいい吸血鬼のユリカたんも、にんにくラーメンらぶゆーなユリカたんも。もちろん、おとめだけじゃなくて、蘭たんやさくらたんやいちごたん……みんなユリカたんのこと、らぶゆーなのですよ。だから、もっともっと、おとめたちのこと信じてほしいのです」
はっとした。
そうだ、かえでだけではない。かえではわたしにとって、いつのまにかとても大きな存在になっていたけれど。けれどほかにも、こんなふうに、わたしを気にかけてくれている仲間がいたのだった。
――ひとりでふさぎこんでいたなんて、馬鹿みたいですね。
心の中でひとりごちて、おとめの手を握り返した。
「べつに、おとめたちのこと、信じていないとか、そういうわけじゃないの。ただ、わたしはあまり、ひとを頼るのは得意ではないというか……。まあ、でも、その、ありがとうと言ってあげないこともなくってよ」
「ユリカたん……! ユリカたんもおとめのこと、らぶゆーなのですね! おとめ、とーっても嬉しいのです!」
「ちょっと、何でそうなるのよ、そこまでは言っていないでしょう」
にこにこと、屈託のない顔でおとめは笑う。
「ユリカたん、ユリカたん。ユリカたんは、梅雨が苦手なのですよね? でもでも、雨の中をお散歩するのは最高にらぶゆーなのですよ! かえでたんがくれた長靴を履いて、さっそくお外へレッツゴーなのです!」
「ちょっと、おとめ!? 待ちなさいよ、せめてコンタクトに変えてから――」
おとめに手を引かれて、寮の廊下を走る。早起きの生徒が、驚いたように振り返る。タイミングよく部屋から出てきたジャージ姿のいちごとあおいが「ふたりともおはよう! なんだかすごく楽しそうだね」「メガネのユリカちゃん、穏やかじゃない!」と言いながら、わたしたちに向かって手を振る。おとめの足音とわたしの足音が重なり、リズムを奏でる。それはかえでと一緒にいるときにわたしの中を流れるものとは、全然違うもの。けれど、不思議と心地よい。
「おとめ、あなた傘持ってきていないじゃないの!」
「いまは小降りなので、大丈夫なのですー!」
「このユリカ様に、雨に濡れろというの!?」
「暑いときは、それも気持ちがいいのです! とってもらぶゆーなのです!」
「なによそれ、血を吸うわよ!」
外の世界は相変わらず雨に濡れている。
けれど一瞬その中に、虹が見えた、ような気がした。
<了>