チョコレートミントの雨が降る

 

歯磨きをしてからでないと、だめなひとだった。

わたしはチョコレートミントのアイスを、食べることができない。

 

 

音が聴こえにくくなる雨の日は、部屋の中にいると、閉じ込められてしまったかのように感じる。この部屋を残して、それ以外はなにもかもなくなってしまって、外にはただ白いだけの空間が、広がっているのではないだろうか。窓ガラスを伝う透明な粒や、道路を挟んで向かいの家の瓦屋根などが見えても、すべてがぼんやりとして、ほんとうのことではないみたいに映る。窓に描かれた、絵みたいに。

「外に、なにかあるの

「なにも」

「アイスたべる

「うちにアイスないよ」

「来るとき、買ってきた」

「抹茶か小豆なら」

「ざんねん、一種類しかないんだわ」

そう言って、冷蔵庫の前に屈んだまま彼女が掲げて見せたのは、アイスバーの箱。

チョコレートミント、七本入り、三百円。

「わたし、それだめ」

「歯磨き粉の味がする

「そんなところ」

「六本入り買ってきちゃった。どうしよ」

「ぜんぶたべて帰って」

「さすがに」

その日は二本たべて、残りは冷凍庫に残していった。

自宅の冷凍庫にチョコレートミントのアイスを見るのは、いつ以来だろうか。

 

 

一本目と二本目のときは雨で、三本目はくもりの日で、四本目はまた雨の日だった。季節柄、気温はそこまで高くなくても空気がしっとり湿っていて、気づくとほんのり、汗が滲んでいたりする。フローリングに敷いているラグマットも、なんとなくしんなりとしていて、座ってはいるものの、あまり心地が良くない。

ローテーブルに、突っ伏すみたいにして半身を投げだす。頬に当たる木目調の天板が、ひんやりしてすこし気持ちがいい。わたしはそのまま行儀悪く、チョコレートをひとつ大袋から出して、口に放りこんだ。安っぽいミルクチョコレートが、口の中でもったりと溶けてゆく。

「頭いたい」

「雨で体調が悪いときは、耳をマッサージするといいって。何かで読んだ気がする」

「ふうん」

「やってあげる。きて、こっち」

呼ばれるままふらふらと、ベッドへ向かう。彼女はひとのベッドに片膝を立てて座りながらアイスを食べていて、正直行儀が悪いと思った。けれど、机にだらりと身体を預けながらチョコレートを頬張っていた自分だって似たようなものだ。仕方がない、雨の日だから。雨の日だけは、パウンドケーキをカットせずにかぶりつくようなだらしなさも、許されるような気がする。

「ちょっと持ってて」

「うん」

食べかけのチョコレートミントアイスを持たされる。半分のところまでかじられたそれは、すでに端のあたりが溶けてきていた。

「これ、はやくたべないと崩れるんじゃない」

「かわりに、たべちゃっていいよ」

彼女の手が耳に伸びる。遠慮がちな触れ方はすこしくすぐったい。

「だから、だめなんだってば」

「うん、そうだよね」

溶けだしたアイスが木の棒を、つつ、と伝い、慌てて口を付けてしまった。だってそうしなければシーツに染みを作ってしまうから、と自分で自分に言い訳をしながら。こぼれた部分を、舌で受け止めるようにすくいとって、ああ、しまった、と思ったときにはすでに、甘さと清涼感の両方を感じとってしまっていた。さっきまで食べていたミルクチョコレートの後味と混ざり合って、より強く甘ったるくチョコレートが香る。

 

微塵も吐き気を催さないことに、吐き気がした。

 

指先が耳から首筋へと移動しても、手のひらで頬を包まれても、チョコレートミントの味を確かめるみたいに口の中を探られても、拒絶の感情はわたしのもとに降りてきてはくれなかった。

さわやかさを気取っていたチョコレートミントアイスはとっくに溶けてしまっていたから、清涼感や冷たさなんてもうどこにもなくて、執拗に探し回ったところで、熱を含んだ吐息くらいしか、そこでは見つからない。それでも彼女はなにかを見つけようとしているのか、探し回るのを止めない。部屋の空気は湿気ていて、口の中はべたつくように甘くて熱い。

ようやくわたしを解放して、彼女は「甘い」と呟いた。

わたしは口元を手の甲で拭いながら、言う。

「この味、ほんとむり」

「でも、嫌いって言わないよね」

「冷凍庫に残ってるの、今度こそ全部たべてから帰って」

「一日四本は無理だよ」

「一日二本なら食べられるでしょ。だから」

雨の音が強くなる。

わたしはベッドから降りて、チョコレートをふたつ、いっぺんに口に入れた。カーテンの向こうはやはり不鮮明なままで、すこし安心する。冷凍庫から一本、チョコレートミントのアイスを取り出して、彼女に手渡しながら告げる。

「そろそろベッドから降りて。アイスこぼしたら、今夜、寝るところなくなるよ」

彼女はアイスを持っていない方の手をわたしに引かれて、ベッドを降りる。彼女の手のひらが汗ばんでいたことに、そのときはじめて気づく。

雨が上がったら、この手のひらから、感じ取ることができるようになるだろうか。チョコレートをたくさん口に詰め込まなくても、大丈夫になるだろうか。

まだわからない。わからなくてもいい。

いまはまだ、雨の所為に、していてもいい。

 

<了>