一章:きらきらの夢と猫のケーキ
学校はきらい、頭痛がするから。
朝もきらい、めまいがするから。
みんなきらい、ばかみたいだから。
◇◆◇
きららは学校にいかない。いきたくないから。だからこうして、平日の昼間から、パステルカラーのやわらかいお布団に包まれている。キャロラインと名前をつけている羊のぬいぐるみを抱っこしながらお布団にもぐっているときは、すこしだけ、頭痛が気にならなくなる。だから、お布団はすき。ふわふわのキャロラインもすき。
「来ましたわよ、花園きらら」
この声はきらい。せっかく治まっていた頭痛がまたしはじめるし、勝手にお部屋の電気をつけられてまぶしいし、きららが眠ろうとするのを邪魔するから。
「委員長、また来たの?」
仕方ないので上半身だけ起き上がる。もちろんキャロラインは抱っこしたまま。ずっとベッドの中にいたきららの髪はブラッシングもしていないからぐちゃぐちゃで、それを見た委員長は大げさなくらいに長いため息をついた。
きららのクラスの学級委員長をしている早乙女あこちゃんは、きららが学校にいかなくなってから、毎日のように放課後プリントやノートをきららの家に届けにくる。それが委員長の役割だから。プリントなんて読まないから、いらないのに。
「今日の分のプリント、持ってきましたわよ」
「んー、そのへんに置いといて」
「あなたねえ。せめて、ありがとうくらい言ったらどうですの?」
「別に頼んでないもん」
「にゃんですって!?」
「委員長は、ありがとうって言われたいから、きららにプリント届けてるの?」
委員長は黙って、眉をひそめた。すごく、いやそうな顔。きららのこと、きらいだって思っている顔。そしてまた、ため息をつく。
「なんなんですの、あなたは、もう。帰りますわ」
「うん、ばいばい」
「お邪魔いたしました。お大事にしてくださいましっ」
委員長はやけに丁寧な言葉でそう言って、きららの部屋から出ていった。廊下を歩く音と、それから話し声が聞こえてくる。きららのママと、委員長が話しているのだと思う。どうせ、きららがお布団にもぐっていたとか、プリントを渡したのにありがとうも言わなかったとか、髪はぐちゃぐちゃでパジャマはしわしわでだらしないとか、そんなこと。
――委員長は、きららのこときらいなのに、毎日毎日きららの家にこないといけなくて、かわいそうだな。
そんなことを考えながら、きららはお布団にもぐった。頭のてっぺんまですっぽり入ってしまうと、お布団の中だけが世界のすべてだと思えてくる。このちいさくてあたたかい世界が、とてもすき。きららだけの、きららのためだけの世界。今日はふわふわの、いい夢がみられたらいいなと思う。キャロラインを抱きしめたまま、きららは夢の世界へ落ちていった。
◇◆◇
きららの夢の世界には、だいすきなキャロラインがいて、パステルピンクの可愛いクッションや天蓋つきのベッドが置いてある。テーブルの上には、たっぷりのマシュマロとマカロン。床はぜんぶ転がりたくなるくらいふかふか。そしてたくさんのお洋服と、絵を描くための絵の具やクレヨンが、ぴかぴかのハンドルのついたクローゼットの中から、いくらだって出てくる。きららはきららだけの夢の中で、すきなお洋服を着て、ほわほわ甘いマシュマロをたべたりしながら、絵を描く。着てみたいお洋服、こんなのあったらいいなと思う家具、キャロラインのおともだちにしたいぬいぐるみ。
きららは、夢の中の世界がすき。
夢の中の世界しか、すきじゃない。
◇◆◇
もうこないかもしれないと思っていたのに、委員長は次の日もきららの家にプリントを届けにきた。へんなの、と思う。きららのことがきらいなら、こなければいいのに。先生に頼まれても、いやだって断ればいいのに。なのに、委員長はそうしない。
「……へんなの」
「あなた、ほんとうに失礼ですわね」
きららは顔だけをお布団から出していた。だから、なんだかいい匂いがすることに気がついた。甘くて、お腹がすいてくる匂い。きららがだいすきな匂い。きららが鼻をぴこぴこさせているのに気づいたみたいで、委員長は満足そうな、もしくは偉そうな笑みを浮かべた。
「ふふーん。今日はケーキを買ってきたんですのよ」
「ケーキ……」
委員長がテーブルの上に置いた白い箱の中には、猫の顔が描かれた丸くて可愛いケーキと、ちょっとだけキャロラインに似ている羊型のケーキが入っていた。おいしそうで、かわいい、きららの夢の世界に出てきそうなケーキ。
「どちらも、限定二十個の大人気ケーキですのよ。両方ともとってもおいしそうですわ。どちらから食べようか迷ってしまいますわねえ」
「えっ」
思わず声を上げてしまうと、委員長は待ってましたと言わんばかりに、にやりと笑った。
「このケーキが食べたいのであれば、ベッドから出てきなさい、花園きらら」
「むう……」
「あら、いらないんですの? こんなにおいしそうなのに、残念ですわ。では、わたくしが両方ともいただきますわね」
「それはメエー! きららもたべる!」
きららはくしゃくしゃのパジャマのままで、委員長と向かい合ってカーペットに座り、ケーキを食べた。羊のケーキはいちごのムースでできていて、口にいれると夢みたいに溶けてしまった。
お皿の上にケーキの欠片がたくさんこぼれているきららとは違って、委員長はすごくきれいにケーキを食べていた。制服も髪もきちんとしていて、くしゃくしゃじゃない。まだケーキを半分しか食べていないのに、なんだか無性にお布団の中に帰りたくなった。おいしいケーキなのに、急に味がなくなってしまったみたいだった。
ケーキを食べ終えた委員長は、きちんとアイロンがかけられた清潔そうなハンカチで口元を拭くと、居住まいを正して、きららに言った。
「花園きらら。あなた、いつまでそうしているつもりなんですの」
「なにが?」
「病気ではないのでしょう。みんな、心配していますわよ」
「心配なんかしてないよ」
「そんなことありませんわ。この間だって学級会であなたのことを――」
委員長の言葉を遮るために、きららは手に持っていたフォークを、テーブルに強く叩きつけるように置いた。いびつで大きな音が響いて、委員長の肩がかすかに跳ね上がった。
「委員長、勉強はできるのに、おばかさんなのかな。みんなほんとうに、きららのことが心配で、学級会で『花園さんがはやく学校に来られるように手紙を書いたらいいと思います』とか、そんなこと言ったって思ってるの? そんなわけないじゃん。みんなそれが自分の『役割』だから、そうしてるだけだよ。そんなこともわからないの? 委員長だって、そうでしょ? 委員長の仕事だから、毎日きららのところにきてるんでしょ? きららのことがきらいでも、面倒くさくても、それが『役割』だから、仕方なくそうしているんでしょ?」
委員長とかクラスの子だけじゃない。ほかのひともそう。先生もパパもママもそう。テレビの中のひとたちも、お店の店員さんもそう。学校の先生は、きららのママにときどき電話をかけてきて、きららの様子を訊ねる。それが先生の『役割』だから。ママとパパは、こんなふうになったきららを家から追い出したりしないし、ごはんも用意してくれるし、様子を見にきたり声をかけにきたりしてくれる。それがママとパパの『役割』だから。この前クラスの「みんな」が書いた手紙を先生が持ってきた。「はやく学校にきてね」とかそういう、読まなくても中身が予想できそうなことが当たり前のように書いてあった。それを書いた子の中には、それまでほとんど話したことがない子とか、陰できららの悪口を言っている子たちもいた。でも、きららのことがすきじゃなくても「心配しているよ」とか「また一緒に遊びたいです」とか、表面だけに甘い粉がまぶされている味のしないキャンディみたいな言葉を手紙に書いていた。それが「学校に来ない子のクラスメイト」としての『役割』だから。そうじゃなかったら、その子たちはきららに手紙なんて書かくわけがない。
きららもほんとうは、きららの『役割』をこなさないといけなかったのだけど、いやになって、捨ててしまった。ほんとうは、毎日学校にいって、ともだちを作って、パパとママに今日あったことをにこにこ笑顔で話すような、そんなきららでいないといけなかった。わかっていた。でも無理だった。そんなきららのことを、きららはすきでいられなかった。
みんな、ばかみたい。役割に従って行動してばっかりで、ばかみたい。
だから役割がなくなったら、なにもできなくなるんだ。どこにも行けなくなるんだ。どうしていいかわからなくなるんだ。いまのきららみたいに。
ばかみたい。きらい。
ぜんぶ、きらい。
「仕方なくやってるくせに、心配しているとか言わないでよ。かわいいケーキなんて買ってこないでよ。プリントなんてママに渡せばいいじゃん。ともだちにするみたいに、きららに話しかけないでよ。きららのこと、面倒くさいと思ってるくせに」
だけど、委員長が「委員長」だからきららのところに来ているのだと改めて思ったら、なぜかすごく、かなしくなった。甘くておいしい羊のケーキはきららがすきな味がして、それもさみしかった。そんなふうに思うきららは、ばかみたい。だから、委員長はきらい。こんなふうに思ってしまう、きららも。
「……たしかに、あなたはすごく面倒くさいですわ」
委員長が言う。ああやっぱり、ときららは思う。
委員長だって、どうせきららのことなんか――
「わたくしが話しかけても、反応は薄いですし、全然ベッドから出てきませんし、やっと出てきたと思ったら、わけのわからないことを言い出しますし。こんな面倒な子、わたくし以外には任せられませんわ」
――ん?
「なに言ってるの?」
「で、ですから……っ、わたくしはあなたのこと、友だちだと思っているって、言ってるんですのよ!」
「委員長ときららが、ともだち?」
「あなたがどう思っているかは知りませんけれど、わたくしは、そのつもりでしてよ」
そっぽを向いた委員長の顔は、りんごあめみたいに真っ赤だった。
ともだち、という言葉が頭の中でぐるぐる回る。ともだち、ともだち、ともだち。心臓がどきどきして、息がくるしくなる。でも、いやじゃない。夢の中の世界みたいなやさしい手触りではないし、ケーキのように甘くもないけれど。
「大体! いくら委員長だからって、すきでもなかったら毎日なんて来ませんわよ!」
「委員長、きららのことすきなの?」
「にゃ!? い、いえ、その、いまのは、言葉のあやといいますか……とにかく! わたくしは明日も来ますからね。もちろん明後日もですわ。あなたが言う『役割』など、そんなことはわたくしには関係ありません。覚悟なさい、花園きらら!」
そう言い残して、委員長はばたばたと、きららの部屋から出ていった。
ぽかんと口を開けたきららと、食べかけのケーキ、それから甘いにおいだけが部屋に残された。まるで、ぜんぶ夢だったみたい。でも、夢じゃない。だってきららはお布団をかぶっていないし、キャロラインのことも抱っこしていないし、お部屋の床はカーペットでふかふかじゃない。
「……あこちゃん、へんなの」
へんだし、きららはもっとへん。きらいだと思っていたのに、すきだって言われたら心がふわふわしてしまうし、羊のケーキはさっきよりもずっと甘く感じるし。
ほんとうに、ばかみたい。
「ねえ聞いて、キャロライン。きららね、はじめて、ともだちって言われたよ」
ベッドに飛び込んで、キャロラインに頬ずりをする。
今日は、いつもよりもっと、きらきらの夢が見られるかもしれない。
二章:ふわふわの街と翼のピアス
「いつまでパジャマでいるつもりなんですの、花園きらら!」
「あこちゃん、うるさい」
「午後二時に迎えにゆくから着替えておくようにと、昨日! あれほど! 釘を刺しましたのに!」
「だって、まだねむいもん」
きららはベッドの中から、あくび混じりに応える。ベッドの横で仁王立ちをして、きららのことを怖い顔で見下ろしているあこちゃんは、いつもとは違って、制服を着ていない。
「ほら、さっさとベッドから出て、着替えますわよ」
「お布団ひっぱっちゃメエー!」
きららは一生懸命抵抗したけど、寝ぼけていて腕に力がぜんぜん入らないから、勝てるわけがなかった。あこちゃんにお布団をはぎ取られてしまったので、きららは仕方なく枕を抱っこして頬をふくらませる。
「あこちゃんのいじわる」
「はいはい。意地悪でもなんでも結構ですわ。次は着替えですわね。花園きらら、クローゼット、開けますわよ」
あこちゃんはきららが返事をしないうちに、クローゼットの扉を開けた。べつにいいけど。
作りつけのクローゼットは部屋の壁と同じ白色で、取っ手はころんと丸く、お花のような形をしている。クローゼットの中には、パステルカラーのワンピースや、羽根のついたリュック、ふんわりもこもこのカーディガンに、キャンディみたいなネックレス……きららのすきなものがたくさん詰まっている。きららの宝箱。
「随分衣装持ちですのね……羨ましいですわ」
「なにか言った?」
「べつに、なんでもありませんわ」
あこちゃんは腕組みをしてクローゼットの中をぐるりと見まわした後、いくつかのお洋服やバッグを素早く見つくろって、手に取った。
「さあ、適当に見繕いましたから、着替えてくださいまし」
あこちゃんが渡そうとしてきたお洋服は受け取らずに、きららはベッドにぺたんと座ったまま、両腕をまっすぐ突き出した。
「ん」
「は?」
「ぬがせて」
「はあ――――――――?」
あこちゃんは顔をひきつらせながら、すっとんきょうな声を上げた。あこちゃんは表情がやわらかいなと思った。抱えていた服をベッドに置いて、あこちゃんはきららのパジャマに手をかける。眉間にしわを寄せてぶつぶつ言ってはいるけど、ちゃんと着替えさせてくれるみたいで、きららはそれがちょっと嬉しい。
「ほら、万歳して」
「ん」
着替えが終わると、あこちゃんは「顔洗っていらっしゃい。もちろん歯磨きもですわよ」と言って、きららを部屋から追い出した。そこ、きららの部屋なのに。でも仕方ないから、顔を洗って、歯磨きをして、髪を梳いて、日焼け止めとリップクリームを塗った。喉が渇いていることを思い出したので、一階の洗面所から二階の部屋に戻るまえに、キッチンでお水を飲む。パパとママはとっくに仕事に出かけたみたいで、キッチンもリビングも、とても静かだった。
「……ねえ、あこちゃん。ほんとうにいくの?」
「何をいまさら。昨日、そう言っておいたでしょう」
部屋に戻って、バッグにお財布とかキャンディとか、そういう細々したものを入れながら、あこちゃんに訊ねる。
学校がお休みの土曜日なのに、あこちゃんがきららの家にきた理由。それは、一緒にお出かけをするためだった。
きららは学校にいかなくなってから、外にもあんまり出ていない。ほしいものはなんでもネットで注文できるし、それにもともと外に出るのは、そんなにすきじゃなかった。頭痛がするからうるさいところはきらいだし、ひとが多くて疲れるし、たくさん歩くと足が痛くなるし、めんどうくさいし、それに外にはきらきらの夢を見せてくれるお布団も、キャロラインもいないから。
でも昨日、あこちゃんがプリントと一緒に持ってきた雑誌のスイーツ特集を見て、うっかり「いきたい」と言ってしまった。だって、そこに載っていたマシュマロ専門のカフェが、すごく可愛かったから。そうしたらあこちゃんは、いたずらを思いついた子どもみたいに、にやりと笑って、きららに言った。
「明日、二時に迎えにきますわね」
◇◆◇
休日らしく、街はひとでいっぱいだった。きららたちくらいの女の子が多い。駅の改札口を出たら、甘いクレープのにおいが漂ってきた。
安くて可愛いアクセサリーのショップとか、変な絵が描いてあるティーシャツを売っているお店とか、歩きながらカラフルなコットンキャンディをほおばっている女の子とか。そういう、この街にしかないものを眺めながら、歩きにくい道を、あこちゃんと並んで歩く。この街は、ごちゃごちゃしていてあんまりきれいじゃないし、ひとはたくさんいるし、うるさいけど、すこしだけきららの夢の中の世界に似ている。
セーラーカラーが可愛いパステルピンクのミニワンピースも、レースのボレロも、ハート型のバッグも、白いニーハイも、厚底のスニーカーも、この街には馴染むことができるから。遠くから指をさしてきたり、こちらを見ながらひそひそと、あからさまに笑ったりするひとが、いないから。この街ではきっと、みんな自分の夢の中の世界を楽しむことに夢中で、ほかのひとのことなんて気にしている場合じゃないのだと思う。
だから、きららは電車に乗っているときずっと、たくさんのひとのにおいで気持ちが悪かったのに、この街についたら、平気になったのかもしれない。電車の中よりもずっと、甘ったるくて、強いにおいがしているのに、不思議。この街の駅につくまでずっと青い顔をしていたのに、到着した途端元気になったきららを見て、あこちゃんは「現金ですわね」と笑った。
お目当てのカフェはメインの通りから一本、裏通りに入ったところにあって、思ったよりも混雑はしていなかった。パステルカラーでまとめられた内装がすごく可愛くて、まだ席に案内される前なのに、たまらなくなって、あこちゃんの袖をひっぱった。
「ねえ、あこちゃん、このカフェすっごく可愛い!」
「本当ですわね。あ、壁にかけられているあの時計、猫モチーフなんですのね……! 素敵ですわ!」
あこちゃんも、お菓子でできているみたいな店内に、興奮しているみたいだった。真面目な委員長のイメージしかなかったから、こんなふうにはしゃいでいるところは、すこし意外。意外といえば、あこちゃんの私服も予想していたのとはぜんぜん違っていて、びっくりした。普段きららの家に来るときは、生徒手帳のお手本みたいな、まったく着崩していない制服姿だから、私服もそういう優等生っぽい雰囲気のものだとばかり思っていた。でも、きららの隣でカフェの内装に瞳をきらきら輝かせているあこちゃんは、猫耳つきのもこもこパーカーにふんわりとしたショートパンツという、ポップな格好をしている。足元に合わせているのは厚底のスニーカーで、きららのものとはデザインが違うけど、すこしだけおそろいみたいで、ちょっと嬉しい。
店内のインテリアと同じように素敵なデザインのメニューをあこちゃんとふたりでのぞき込みながら、じっくりと時間をかけて悩んだ結果、きららはマシュマロがたっぷりトッピングされたパフェを、あこちゃんはマシュマロのパンケーキを注文した。
パフェはカラフルな見た目も可愛くて、きららの夢の中の世界に出てきてくれたら良いなと思った。ひとくちほおばれば、マシュマロとシャーベットがひんやりと口の中で溶けていく。
「んー、おいしい!」
「ええ、パンケーキも、とてもおいしいですわ」
あこちゃんが幸せそうな顔で口に運んでいるのは、二段に重ねられたパンケーキの上に焼きマシュマロがたっぷり乗せられたマシュマロパンケーキ。見ているだけでもおいしそうなことが伝わってきて、きららは喉をこくんと鳴らした。
「あこちゃんの、ひとくちちょうだい?」
「まあ、構いませんけど」
「じゃあ、あーん」
「は?」
あこちゃんは、きららの方にパンケーキのお皿を移動させようとしていた手を止めた。
「だから、あーんだってば。食べさせて」
「はあ――――――――?」
あこちゃんはあきれたように言う。
「あなたねえ、ちいさな子どもじゃないんですから」
「あーん」
口を大きく開けて、テーブルを挟んで真向いにいるあこちゃんの方に、顔をつきだした。はやくはやく、と表情でせっつく。
「……本当に、仕方のない子ですわね。ほら」
あこちゃんが口に入れてくれたパンケーキは、とろりとした焼きマシュマロと、ふっくら弾力のあるパンケーキのバランスがすてきだった。甘酸っぱいブルーベリーソースはさっぱりしていて、いくらでも食べられそう。
「おいしーい!」
「お口に合ったのなら、なによりですわ」
「じゃあ次は、あこちゃんの番ね。はい、あーん」
「んにゃっ!?」
「あーん」
「じ、自分で食べられますから……」
「ほらはやく、シャーベットが溶けちゃうよ」
スプーンをさらにあこちゃんの口元に近づけると、あこちゃんは頬を赤く染めて、周囲をきょろきょろ見まわしてから、遠慮がちにスプーンに口をつけた。
「おいしい?」
「……ええ」
「あこちゃん、顔赤いよ?」
「気のせいですわ」
口元を手で隠していても、顔が赤くなっていることは、はっきりとわかる。そんなあこちゃんが可愛くて、きららはつい、笑顔になってしまう。
「……なんですの、にやにやして」
「えへへ、なんでもないよ」
「変な子ですわね」
◇◆◇
カフェでおいしいものを堪能したきららたちは、路面店が並ぶメイン通りをぶらぶら歩いた。ひとがたくさんいるから、自然とゆっくりとした足取りになる。
「あっ、あれ可愛い」
中学生のお小遣いでも買えるアクセサリーや雑貨ばかりが並ぶ、カラフルなお店の中に、とびきり輝いて見える、ピアスを見つけた。
お店の中に入ると、流行りのアイドルソングが大音量でかかっていた。きららたちくらいの女の子でいっぱいの店内で、きららはそのピアスを手にとり、顔の横に掲げるようにしてあこちゃんに見せた。
「あこちゃん、見て。可愛い!」
「あら、本当。すごく可愛いですわ」
そのピアスは天使の翼型のゴールドフレームの中に、ホログラムやハート、星にリボンなどのちいさなモチーフがちりばめられていて、すごくロマンティックな雰囲気だった。パステルブルーとパステルイエローの二色があって、どっちも迷っちゃうくらい可愛いけど、パステルイエローの方は、きららじゃなくてあこちゃんにつけてほしいなとふと思った。
「これ、イヤリングタイプはありませんのね」
すこし残念そうな声で、あこちゃんが言う。
「あこちゃん、ピアス開けてないの?」
「ええ……って、あなたは開いているんですの?」
「うん。ほら」
きららはサイドの髪を耳にかけて、あこちゃんに見せる。あこちゃんが家に来るときはいつも髪を下ろしているから、きららの耳にピアスホールがあることを知らないのは当たり前だった。
あこちゃんはきららの耳をまじまじと見てから、小さくため息をついて「……不良ですわ」と言った。
「そんなこと言っちゃメエー! きらら不良じゃないもん。可愛いピアスつけたいだけだもん」
「少なくとも、校則違反なのは間違いありませんわよ」
「なんでだめなの? こんなにちっちゃい穴だし、ピアス外してたら全然目立たないよ。髪下ろしてれば見えないし」
「それでも、そういう決まりなんですのよ」
「あこちゃんは、変だと思わないの?」
「まあ正直、思うことがないと言えば嘘になりますわね。でも従うしかないんですのよ。決まりというのは、そういうものなのですわ」
「ふーん」
心臓のあたりが、すーっと冷えてゆくような感じがした。そういう意味のない規則とか、そういうものとして素直に受け入れてしまったりするのとか、ばかみたいだと思う。どうして、あこちゃんは「委員長」の役割を受け入れているんだろう。平気な顔で、いられるんだろう。可愛いピアスをつけることすら、許してもらえないのに。
「でも、きらら学校いかないから関係ないもーん」
きららは売り場からピアスを取って、すこしだけ小走りでレジに向かった。そのままあこちゃんと一緒にいたら、あこちゃんに、ばかみたいって、言ってしまいそうだと思ったから。
お店から出たらもう夕方になっていて、空はぼんやりとしていた。風も出てきていて、冬はまだ遠いのにすこし肌寒い。
「ね、あこちゃん。手つなご?」
「はあ?」
「きらら寒くなってきちゃったんだもん。おねがーい」
「……仕方のない子ですわね」
ほら、とぶっきらぼうに差し出された手を、ぎゅっと握る。あこちゃんの手はきららよりもほっそりとしていて、すこしひんやりしていた。
「あこちゃんの手、つめたいね」
「あなたの手はぽかぽかですわね。それにやわらかくて、赤ちゃんの手みたいですわ」
「もーっ、きらら赤ちゃんじゃないもん」
つないだ手を、ぶんぶんと勢いよく振る。子どもみたいに、照れ隠しみたいに。
帰りの電車はすごく混んでいてぎゅうぎゅうに詰められて気持ち悪かったけど、あこちゃんが手をつないでいてくれたから、行きの電車に乗ったときよりはずっと平気だった。最寄り駅に着いて改札を出たあたりで、どちらからともなく手が離れた。あこちゃんの体温の余韻がまだ手のひらにあって、なんだかすこし、くすぐったいような気持ちになった。
「あこちゃん、これあげる」
「なんですの?」
駅を出て別れるとき、きららはあこちゃんに小さな包みを渡した。
「きららとおそろいだよ」
きららの手には、パステルブルーのピアス。そしてあこちゃんには、パステルイエローのピアス。透明な袋に入れられているそれらは、夕方の薄暗い空の下でも、きらきら輝いて見える。
「じゃあね、あこちゃん。ばいばい!」
あこちゃんが何か言おうとしたのを無理やりにさえぎって、きららはその場から走り出した。厚底のスニーカーを履いているせいで、どたどたと可愛くない足音が鳴る。
「ちょっと! お礼くらい言わせなさい! その靴で走ったら転びますわよ! 花園きららーっ!」
後ろから、あこちゃんの声が追いかけてくる。きららは走るのが久しぶりすぎるせいで、ぜいぜい息をしながらも、つい笑ってしまう。
ワンピースのポケットに入れたピアスが、カシャカシャと音をたてている。きららはそれが、きららたちの耳元で光っているところを想像した。